私は、ずっと出口を探している。 この日本を覆う空気、あらかじめ全てをあきらめてしまったかのような虚無、あるいは、そこから何も生み出しようもない、自分以外のモノへの思考停止の依存は何なんだろう? 高度資本主義の強迫から生まれた、拠り所を求めて浮遊する個? 確かにそうかもしれない。国家、会社、学校、あるいは家族という近代の物語が崩れていくと同時に個人の価値観が問われ始めた。私たちは漂っている。 でも、拠り所なんていらないんだ、ということをなぜ、人は言わないのだろう?「大きな物語」はもう終わったのだ。自らコントロールできない物語など、私はいらない。自律した個人同士のミクロな関係性にこそ、出口があると思う。そして、そこからはじめて「私たちの物語」が始まるのだと思う。 この作品の主人公、雨宮さんは、民族派右翼思想に救われたと言う。社会と自分の接点を見い出し、虚...$看完查了查雨宫的近况,发现她两小时前发布了新书的推文(奇妙的联系感)。$标了好久终于看到了,和想象中有点不同。其实三人对未知的态度是相对开放的,才能达成这种对话。雨宫属于地雷女祖师了。$不谈政治我们都还是好朋友。没想到最后解决政治立场冲突的是存在主义。$三个找寻人生意义的年轻人探讨人与国、社会、信仰和民族。雨宫从追求一种归属感,伊藤只相信自己,土屋觉得这些和他没关系,却在每天的跟拍中慢慢被雨宫和伊藤所吸引。虽然什么答案都没有,但却提出了一个好问题,“人一定要相信着什么,爱着什么才能活着么”$今天的作品裡,最喜歡這部/不喜歡結尾的光明感,但是非常喜歡錄像日記裡面的雨宮(她已經真的成了政治家)二十年前的民族主義青年說:「現在是看不到敵人的時代」(所以需要製造政治幻象與敵人)。現在呢?